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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

遠い日の悲しみを変えて行けるのは 現代を生きる私達です


 かつて私達の国は、国内でも対外でも、多くの戦いをした経験があります。
勝利を収めたとしても、死者が一人もない「戦い」は稀有(けう)でしょう。
死者が出るということは、本人の無念、そしてそこに家族や友人の悲しみが生じるということです。
 天災においても、多くの方々が亡くなってきた歴史上では、「私達人間にはどうすることも出来なかった」、ということが多いのだろうと思いますが、戦争の場合、経済難や領土の問題などでの、人々の思惑から戦いが発生することも多いので、人々は常にニュースや新聞、政治の流れにも目を配り、自分の意見を持つことも大切ではないかと思うことがあります。
 第二次世界大戦時下、若く賢い方々が戦争にかり出され、船や飛行機で国家の命のもと、命を散らしていったということがありました。
飛行機で敵艦に体当たりする、いわゆる「特攻」はテロリストと同じではないかという意見が聞かれたこともあったと記憶しております。
私は「何ということだろう」と驚きました。
 テロリストとは、「政治上の暴力主義者、テロリズムを奉じる人」と辞書に定義されています。
テロリズムとは、「政治上その他人にこれを強要し、または社会に不安若しくは恐怖を与える目的で、人を殺傷し又は重要な施設その他のものを破壊するための活動をいう」という定義があります。
この「社会に不安若しくは恐怖を与える目的で」という所が「特攻」とは全然違うのです。
「特攻」の目的の焦点は、「自分の愛する人々を守るため、国家を守ろうとした」という事でしょう。
NHKの番組で、「特攻」で命を散らした方の遺書が公開されていました。
誰もが本当は死にたくなかったと思います。
誰でも平和な空の下で、大自然の中で、愛する人々と笑いながら四季の美しさや旬の食べ物を、幸せな気持ちと共に、味わいたいのです。
戦争が始まるとき、他国との軋轢(あつれき)、領土や資源の問題などが火種となり、大火に発展し、戦争となることが多いようです。
一般的な社会と同じように、国同士民族同士の間に、上下関係や差別による不当な扱いが生じて来ると、それは「大きな戦いの前触れ」と思ってよいでしょう。
どんな人でも自分だけでなく愛する人々が、他人や他国に不当な扱いをされることは、心の深い部分に大きな傷を負うことです。
その傷の痛みの故に、人は復讐しようとするのです。
 私の父は中学生時代、戦争の真っ只中でした。
青森市の空襲の際、家族とはぐれて一人で逃げまどっていたとき、黒焦げになった遺体がたくさんあったそうです。
その中に、多くが炭化した女性の遺体があり、その下には小さな子供のような遺体が抱きかかえられていたそうです。
それを見たとき、「かたきは必ず取ってやるからな!」と叫び、もう既にひとけのない街を、恐ろしさに震えて、泣きながら走ったそうです。
それで勉強して、戦闘機パイロットになろうと決心したようです。
その前に戦争は終わり、今まで受けてきた教育とは全く違う世界が急に広がり、酷く戸惑い、行き場のない怒りにさいなまれたそうです。
人々の怒りの積み重ねから、大きな戦いは激化していくのだと思います。
 「特攻」とは愛する人々を守るためだったことが、命をかけて敵艦に体当たりするということを、受け入れるに至ったのでしょう。
テロリストではないということです。
遺書から感じ取れるように、あのように苦しんで若い命を散らしていった方々に、「犬死に」だとか「テロリスト」だとか、どんな人でも言ってはならないと思います。
その時代を全力で生きて、命を国家に捧げたというのは、つまり愛する人々に命を捧げたということです。
どんなに生きたかったことでしょう。
戦後のこの国の驚くべき躍進は、こういった方々の深い愛の力が、この国を守って下さったからだと、私は信じます。
それ故この国の人々は皆、そういった国のために生きた方々の御霊に、心よりの感謝を奉じて、これからは二度と戦争をしないことを心に誓うことが、大切でしょう。
 そのためには私達の日常でも、人と人との関わりの中で、どうしたら皆が心穏やかで、幸せな気持ちになれるのかに気を配りながら、生きていくことが大切ではないでしょうか。
 画像は車庫の中にある「南天」です。
今日のフィーリングは、平井大(ひらい だい)氏の「片隅のファンタジー」、alan アランさんの「悲しみは雪に眠る」かな